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ラピッズ郡()は、アメリカ合衆国ルイジアナ州の中央部北西に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は131,613人であり、2000年の126,337人から4.2%増加した〔Quickfacts.census.gov - Rapides Parish - accessed 2011-12-06.〕。陸地面積では州内最大の郡である。郡庁所在地は国勢調査指定地域のアレクサンドリア(人口47,723人〔Quickfacts.census.gov - Alexandria - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の町でもある。 ラピッズ郡はアレクサンドリア大都市圏に属している。郡名の "Rapides" はフランス語であり、英語の "rapids" (急流)である。 == 歴史 == 1763年、現在のラピッズ郡となった地域は、カーレレック総督の許可を得たアパラチー族インディアンが新しく住む所となった。アパラチー族は現在のフロリダ州レオン郡から、イギリスとその同盟インディアンであるクリーク族から逃げてきていた。その子孫の多くが現在のナケテシュ郡に残っている。 最初のフランス人開拓者はビンセント・ポリーであり、1764年7月にナケテシュの軍政府長官から小さな土地の特許を受けていた。1776年12月にはオーブリーとフォーコールトの許可でニコラス・エティエンヌ・マラフレー・レイサードが到着し、ラピッズの松林に船のためのタール工場を設立した。レイサードは後にラピッズ郡の初代市民指揮官に指名された。1760年代、この地域はナケテシュ郡に従属していた。 1790年代、アレクサンダー・フルトンがラピッズ郡の中にスペインの土地特許を取得し、1805年には将来のアレクサンドリアの町の区画を引いた。ラピッズ郡は1807年にオーリンズ準州政府によって設立された。 北軍がアレクサンドリアを占領していた1863年4月1日、郡内の住民投票が行われ、暫定州憲法制定会議に送る代議員を選んだ。北軍のナサニエル・バンクス少将に拠れば、この選挙はアレクサンドリアで「ラピッズ郡民の要請で行われた。軍人は誰もこの件に干渉せず、関わらなかった。忠実な市民に全てが任された」とされている〔John D. Winters, ''The Civil War in Louisiana'', Baton Rouge: Louisiana State University Press, 1963, ISBN 0-8071-0834-0, p. 333〕。この投票は北軍が占領した地域によって日程が異なっていた。ニューオーリンズでは3月28日に行われた。マークスビルとグランドエコールがその後に続いた。歴史家のジョン・D・ウィンターズに拠れば、「これら選挙のどれも北軍のレッド川方面作戦を遅らせなかったし、その結果に物理的影響を与えるものではなかった」としている〔Winters, p. 333〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラピッズ郡 (ルイジアナ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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